忘我の境
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初めて出会った夜のことを、今でも夢に見る。風に包まれるようにして守られ、燃え盛る炎の中を歩み寄ってくる人。亜麻色の髪と碧玉の瞳。近づくなと怒り叫ぶレオンハルトに向かって、差し伸べられた手の奥、優しく細められたその瞳に見たのは、最後に母が見せた慈愛に似た、けれどそれよりももっと炎のように熱く激しい感情だった。
「ようやく……見つけた」
細めた碧玉の瞳の中に炎が揺らめく。燃え上がる炎の熱で、熱くなったレオンハルトの頬を優しい風が撫でた。
ようやく、見つけた。
その言葉は自分のものだと直感した。これまで会ったこともない人。自分が探していたなんて、まったく知らなかった人。でも彼が自分を見つけたように、自分もまた、ずっと探していた人をようやく見つけたと、例えようもないほど大きな喜びの感情と共に知ったのだ。その喜びを向ける先には差し伸べられた手。夢中で小さな手を伸ばし返し、ようやく見つけたその人の胸の中に飛び込んだ。
「ディア」
いま暖炉の前でソファに腰掛けている青年は、その瞳に暖炉の炎を映してはいるけれど、あの時のような激しい感情を覗かせることはない。部屋の外から声をかければ、こちらを向いて微笑む瞳に宿るのは静かな慈しみだけだった。その微笑みに部屋に入ることを許されたことを知ると、レオンハルトは扉を締めて彼が、ディアラスが座るソファの隣に歩み寄って腰かけた。食事を終えて、風呂にも入ってしまったレオンハルトと違って、ディアラスはくつろいだ恰好はしているものの、風呂はまだのようだった。
三人は余裕で座れる大きさのソファだが、レオンハルトはあえてディアラスの側に腰を下ろし、彼が膝の上に広げているノートを覗き込んだ。そこには流れるようなディアラスの文字と、それを真似たレオンハルトの少しぎこちない文字が交互に並んでいた。時折図形が描かれたり、数字が並んでいたりする。一週間前、王都へ出かけるディアラスがレオンハルトのために残して行った宿題だ。
一日四頁。一週間で二十八頁だけれど、予定より一日ディアラスの帰宅が早まりそうだというのを聞いたのは、ちょうど二日前の夜のことだった。一日のうち半日は武術指南役のローグとの訓練で終わってしまうから、座学は朝早くか、夕食後にこなすことになる。他にも本を二冊読むというノルマもあった。一週間の初めに、課題に取り組むペースをあらかじめ設定していたせいもあって、一日のずれは大きなものだったのだ。
「置いていった課題は全部こなしたようだな、レオ」
予定が早まったのはレオンハルトのせいではなかったから、課題が一日分残っていたとしても、ディアラスは叱ったりしなかっただろう。それでも必死になって課題を終わらせたのは、こんな風に彼に褒めてほしかったからだ。”レオ”という呼び方ひとつで、よくやったと言われていることが分かる。この声が聞きたかった。
「うん。少し早く帰ってこれるって聞いたから、急いで終わらせたんだ」
あんまり言って、褒めてと強請っているようになるのは避けたい、とレオンハルトは思った。もうどこへ行くにも彼の服の裾を掴んで離せなかった三年前とは違うのだから。レオンハルトは先月十三歳になった。一般市民であれば、すでに徒弟として働きに出ていておかしくない年齢だ。
レオンハルトの場合は事情が特殊だから働きに出ることはしていないが、ディアラスが自分に”自立心”というものを身につけて欲しいと思っているのは察している。自分ではそれを良いものだとも必要なものだとも思えないが、彼をがっかりさせたくないからなんとかしようと努力はしているのだ。
「課題のことを考えれば、予定通り帰ってきた方がよかったかな」
ただディアラスはこうして、まったく悪意なくレオンハルトの努力を踏みにじるようなことを、いとも簡単に口にするのだった。レオンハルトは絶句して、今の言葉の意味を考えた。彼はレオンハルトが課題のペース配分を最初にすべて設定したことを察しているのだ。だから、予定外の早期帰宅でそのペースを乱してしまうより、用事が終わってしまったとしても予定通り帰ってきた方が、急がせないで済んだろうとそう思っただけなのだ。
けれどそうじゃない、と一瞬レオンハルトは声を上げそうになった。用事なんてすぐに済ませられるなら、一週間なんて出かけないで、四日でも三日でも、とにかく終わり次第帰ってきてくれた方がいいに決まっている。彼がいない間、自分がどんな思いをしたか。数秒の間にそこまで考えて、レオンハルトはぐっと言葉を飲み込んだ。
「……ディアが早く帰ってきた方がいいよ。課題は少し早く起きればできる量だし」
精一杯自制して何とか口にした言葉は、それでも本音を隠しきれていないように思えた。けれどディアラスにはその漏れ出た本音の部分は通じていないようだ。彼は手元のノートをなぞっている途中で、数式の一部に長い指を置き、教師の冷静さで間違いを指摘した。
「そうか。しかし、慌てて計算したな。ここはこうだろう」
慌てて覗き込み、自分で書いた数字をじっくり見直す。
「え? ……あ、ほんとだ」
慌ててというよりも、集中できていなかったのだろうと自分を振り返って思う。一ヶ所の計算間違いがその後のすべての数式に影響してしまっていた。ディアラスは携帯用の羽ペンを使って、レオンハルトの間違いを次々に修正していく。
「あとこういう時は……こう書いた方がいいな」
次に指摘されたのは文法だ。ディアラスの手元を覗こうとすると、自然と彼の肩に身を寄せる形になった。炎の熱が移っているのだろうか。とても温かい。
それに、ディアの匂いだ。
実際には一週間と離れていなかったのに、随分と懐かしい。彼の部屋に残っていた匂いと同じ。初めて出会った時から、レオンハルトを安心させる匂いだった。無意識に、レオンハルトはディアラスの腕に猫のように擦り寄り、頬を押し付けた。ディアラスは膝に広げていたノートを押さえながら腕を伸ばし、近くのひとり掛け用ソファの上にあった膝掛けを引っ張って広げると、レオンハルトの肩にかけた。
どうやら風呂上りで冷えたから、温もりを求めてひっついてきたのだろうと思われたようだ。温もりを求めたのは間違いではないが、別に寒くはない。寒くはないけれど、寒いことにしておけばディアラスから離れなくていいのだ。また少し”自立”という言葉が頭を霞めたが、この心地よい温もり、匂いを自ら遠ざけることなどできはしない。
「ウォンとは仲良くやれそうか?」
「うん」
ウォンはディアラスが王都へ出かけて行った直後に、武術指南役であるローグが連れてきた、ローグの孫だ。ちょうどレオンハルトと同い年であるということで、だいぶ人慣れしてきたレオンハルトの従者兼年の近い友人となるべく、屋敷で一緒に暮らすようになった。
それまでこの広い屋敷にレオンハルトと同じ年頃の子どもはいなかったし、いて欲しいと思っていたわけではないけれど、ウォンが来てくれて、ローグの訓練を一緒に受けてくれる毎日は思っていたよりずっと楽しかった。弾んだ声で頷くと、ディアラスが満足そうに微笑んだ。
「それは良かった」
おそらくレオンハルトが素直にウォンを受け入れられたのは、今では十分に信頼しているローグと似た匂いをその孫に嗅ぎ取ったからだろう。また、ディアラスがわざわざ自分が不在のうちにウォンとレオンハルトを引き合わせたのは、その方がウォンの存在に集中しやすいと考えたからに違いない。それはまったく、ディアラスの目論見通りだったと言える。
ウォンはローグの孫というだけあって、よく鍛えられていたし、普段話すときは気さくで、ローグほどは堅苦しくない。
「あ、でも、ウォンもローグみたいに、オレのこと”若様”って呼ぶんだ。レオでいいって言ったら、ローグは駄目だって。やっぱり駄目なの?」
元々”若様”という呼び方は好きではなかった。ローグも女中頭のレリアも決して譲らないから仕方なく”若様”と呼ばれてはいるけれど、年の近いウォンにまでそう呼ばれるのまで仕方ないと諦めきれないのだ。ウォンは名前で呼んでも良さそうな反応だったのに、側にいたローグがやはり、自分の孫がレオンハルトを名前で呼ぶことをよしとしなかった。しかしローグもディアラスがいいと言ってくれれば、許してくれるのではないかとレオンハルトは期待して尋ねたのだった。
腕に寄りかかりながら顔を上げて、上目遣いにディアラスを覗き込めば、彼はノートからレオンハルトに視線を移して、宥めるように言った。
「二人の時は好きに呼ばせたらいい。でも、人目のあるところでは駄目だ。ウォンのためにもならない」
屋敷の中で人目のないところなどほとんどない。二人きりになるとすればレオンハルトの自室くらいなものだろう。けれどウォンのためにもならないと言われれば、我を押し通す意味もない。
「ん……分かった」
とりあえずはディアラスのお墨付きをいただいたということで、二人きりの時にはレオと呼ばせるようにしようと決意する。そうしている 間にディアラスの視線はレオンハルトからまた手元のノートに戻ってしまっていた。炎の揺らめきを映す碧玉の瞳が、こんなに近くにいる自分に向けられていないのは正直不満だ。だから彼の意識を自分へと向けるため、何とかして会話の糸口を見つけようとレオンハルトは問いかける。
「王都で何をしてきたの? 用事って、何だったの?」
腕に手を掛けながら問いかけると、ディアラスは既にノートを最後まで確認し終えていて、問いかけに答える前にノートを閉じていた。望んでいた瞳がレオンハルトに向けられる。それだけで、レオンハルトの心は満たされたようになって、ディアラスの答えが耳に入らなくなるのだった。
「お前とウォンを一ヶ月間、王都のブライトメイト学院へ体験入学させられないかと思って、学院長にお会いしてきた」
「……え?」
本当は王都に出かけるため留守にすると告げられた出立の前に聞いていてもおかしくない質問だったのに、ただディアラスが一週間いなくなるということだけで頭がいっぱいで、王都へ出かけなければいけない用事というのが何なのか、それを追及している余裕がなかった。
このグラデイア獅子候の治める領地から女王の住まう王都までは船と馬で三日。予定の一週間より一日早く帰ってきたというならば、実質王都で用事を済ます時間は半日もなかったはずだ。ディアラスはレオンハルトの祖父であるライオネル候の代わりに、領地の一切を取り仕切る立場にある。半分以上は彼の双子の姉、アリーシャが管理してくれているとはいえ、彼が出向かなくてもいいような用事の場合には、代理を立てるのが普通だ。
それを今回はしなかったということは、王都での用事がそれほど重要なものであったことを意味している。はずなのに、レオンハルトの耳にはディアラスの答えがどうしても重要なものには聞こえなかった。
「ローグは良い師だが、ライオネル様も私も、お前にはもっと広い世界を知ってほしいと思っている。学院には同じ年頃の子がたくさんいるし、先生方にブライトの使い方も教えてもらえる。体もできてきたし、そろそろ扱いを覚えてもいい頃だろう」
急に、言葉が分からなくなったみたいだった。寒くもないのに、体が震える。ディアラスの言葉が、断片的に頭の中で反響し、暴れ回っているようだ。学院。王都の。ウォン。ブライト。広い。同じ年頃。入学。一ヶ月。一ヶ月、王都に。
「一ヶ月って……ディアは? ディアも一緒に来てくれる?」
答えにわずかばかりの希望を乗せて尋ねるけれど、ディアラスは無情にも首を横に振った。
「ここから王都の学院へ行く時は同行するが、私はもう学院に入れる年齢ではないからな。一ヶ月間、お前とウォンは学院の寮で暮らすことになる」
「寮……って?」
本当はそんなことを尋きたいわけではなかった。相変わらずレオンハルトの頭の中では、意味をなさない言葉が暴れ回っている。同行。年齢。暮らす。ディア。暴れ回る言葉達を繋げて、辛うじてレオンハルトが理解できたのはつまり、それがどんな場所であれディアラスは一緒ではない、ということだった。一ヶ月。一ヶ月も、彼と離れるということなのだ。
「学院の生徒は皆、ひとつの建物の中に区切られた自分達の部屋で生活するんだよ。食事や風呂は共同だ。基本的に半年は学院の中で生活して、街には出られない。本来は十歳で入学して十七歳まで学ぶのだが、今回は体験入学だから、一ヶ月だけだ」
”一ヶ月だけ”。確か今回出かける前にも、ディアラスは言ったのではなかったか。”一週間だけ”だと。この一週間の意味がようやく分かった。この屋敷に引き取られて当初は周囲への警戒心も露に、常にディアラスにへばりついて夜も離れないでいたレオンハルトが、ようやく彼と別の部屋でも眠れるようになり、日中であればディアラスが屋敷に不在でも騒がなくなったため、様子見がてら踏み切った長期不在だった。つまりそれがディアラスが望む”自立”というものなのだ。
一週間の不在を乗り切ったと信じているからこそ、ディアラスはこの話を打ち明けてくれたのだろう。このまま乗り切ったとうそぶけば、ディアラスは安心してレオンハルトを学院とやらに放り込むことができる。
けど本当のことを言えば?
きっとがっかりさせてしまう。情けないと思われてしまう。けれど虚勢を張るには、一ヶ月はあまりに長すぎた。それに、一ヶ月の体験が終われば、もしかしたら「十七歳まで四年間」という可能性だってあるということだ。震える肩から落ちてきた膝掛けを握り締め、レオンハルトはからからになった喉に引っ掛けるようにして声を出した。
「……無理だよ。一ヶ月っていったら、一週間よりずっとずっと長い。そんなにディアに会えないなんて、オレ、嫌だ」
自分で言っていて、子どものようだと思う。嫌だ、なんて。人を避けて森で暮らしていた頃と違って、字も習ったし、本だって何冊も読んでいるのだから、他に表現のしようがあるだろうに。こんな急に、三年前に戻ったかのような言い方では、ディアラスを困らせてしまう。
「……一週間は大丈夫だったんだろう? 一ヶ月だってあっという間だ。ウォンもいてくれる」
ソファに深く腰かけていたディアラスは、少し前に出て体を捻り、レオンハルトを見下ろして言った。その声はやはりレオンハルトの態度に困惑している様子で、自分が蒔いた種ながら、レオンハルトは何だか苛立たしくなった。あっという間だなんて、そんなわけがない。一日も一週間も一ヶ月も、ディアラスが側にいないなら同じだ。同じだけ辛い。”自立”なんてクソ喰らえだ、とレオンハルトは思った。
「ウォンが一緒なのはいいけど、ウォンとディアは違うだろ! それに……一週間だって、大丈夫じゃなかった」
思った勢いでぶちまけると、ディアラスが俯くレオンハルトを覗き込むようにして身を屈めたのが影でわかった。
「レリア達からは何も聞いていないが、何かあったのか?」
心配しているような声。申し訳ないと思うのと同じくらい、彼の心が自分に向けられていることをひしと感じて甘い喜びも胸にあふれる。膝掛けをきつく握り締めるレオンハルトの手に、ディアラスの手が重なった。
「レオ?」
問いかけるような声に続いて先ほど羽ペンを握っていた長い指が、レオンハルトの手をそっと撫でる。レオンハルトがそのまま上半身を倒せば、ディアラスはその胸にレオンハルトを優しく受けとめた。肩に寄り添った時に感じていた温もりが、もっとずっと近くなる。膝掛けを掴んでいた手を離し、両腕を伸ばしてディアラスの背に回すと、耳元にある胸から彼の心音が薪の爆ぜる音に混じって聞こえた。
縋りつくようにして力一杯腕を回すレオンハルトに、ディアラスは黙って片腕でレオンハルトの背を抱いて、もう片方の手で鮮やかな金髪を梳いた。五つの時に母が死に、人を避けて森で生活していた五年間は獲物を狩ることができない日もあったので、成長に必要な栄養を得ることができず、レオンハルトは同じ年のウォンに比べても小柄だ。それでもこの屋敷に来てからは食事も運動も十分とれるようになったから、体に肉もついたし、身長も伸びた。三年前は同じことをしても、レオンハルトの頭はディアラスの腹にしか届かなかったけれど今は、ディアラスの胸元に達している。
「レオ」
髪を撫でていた手が背に滑り、むずがる赤子を宥めるようにして背が緩く叩かれる。三年前、炎の中で飛び込んだ時からずっと、この人の腕の中はレオンハルトの拠り所だ。体がいくら成長しても、勉強して文字が読み書き出きるようになっても、こんな風にディアラスから離れると聞いただけで、心が引き裂かれるように怖くなるのはレオンハルトの心がまだ成長しきれていないからなのだろうか。
「……夜、よく眠れなくて……二日前にディアのベッドで寝た。レリアには朝見つかったし、ローグもウォンも知ってるけど……ディアには黙っててくれたんだと思う」
それとも、この人がレオンハルトにとってあまりにも特別な存在だからなのだろうか。
「……呆れた?」
腕の中から恐る恐る顔を上げ、下から覗き込めば、ディアラスは呆れたというよりも困ったような、そして少し、どこかが痛むような顔をしていた。
「……そうだな」
「う〜」
そんな顔をさせたいわけではなかった。ディアラスは時々、慈愛の視線の中に今のような苦痛の色を混ぜてレオンハルトを見る。レオンハルトはその色が嫌いだった。そうさせているのが自分だと思うと、酷く情けなくなるし、悲しくなる。多分、こうして子どもっぽく彼を求めることがいけなくて、だからディアラスはレオンハルトに”自立”して欲しいと思っているのだろうと察してはいるのだけれど。
けれど、どうしようもない。だって、ようやく見つけた人なのだ。レオンハルトは顔を下げて再び額をディアラスの胸元に押し付けた。これ以上なく近づいた体からは、ディアラスの鼓動と匂い、そして彼がブライトと呼ぶ力が強く感じられた。
「家のどこにも、ディアがいないの、分かるんだ。昼は皆の気配がするから、我慢できるんだけど……皆が寝ちゃうと、急に静かになって……。オレ、遠くの方までディアのことを探すんだけど、いないし……部屋には少し、ディアの匂いが残ってるから」
「遠くの方まで?」
寄せた胸元から響くような声で、小さくディアラスが問い返してきた。言葉が拙すぎて、彼には分からないだろうか。だがレオンハルトもどうすればわかりやすく伝えられるか分からないのだ。多分、レオンハルトはディアラスのブライトを辿ることで、彼の存在を確認して安心していた。だから少しずつ距離を置いて部屋が別々になっても、昼間領地に彼が出掛けて行っても、彼を見失うことがなかったから平気でいられるようになったのだ。
「うん。でも、きっと王都ってもっと遠いんだ。だから探せなかった」
王都へと出掛けていく彼のことも、最初の一日と、帰りの一日は意識を集中すれば彼のブライトを探し出せた。しかし二日目からはおそらく遠すぎて、ディアラスの存在を確かめることができなくなってしまう。不安は日に日に募り、少しでもディアラスの気配を感じられる彼の部屋に忍び込んだのだった。
「……そうか」
果たしてレオンハルトの言葉足らずな説明で分かったのか、それとも理解するのを諦めたのか。ディアラスはただそう応えて、しがみついて離れないレオンハルトが、自分からその腕を緩めるまでずっと抱きしめてくれていた。
抱きしめられた腕の中はあまりにも心地よくて、目を閉じればそのまま眠ってしまえそうだった。夢見心地でレオンハルトの腕が拘束を緩めれば、ディアラスはぽんとひとつ大きくレオンハルトの背を叩いて、肩を掴み、レオンハルトの上体を起こさせた。渋々ながらレオンハルトがそれに従うと、彼は言った。
「レオ、今日はもう遅い。この話は一旦終わりにしよう」
「ディア」
一旦、ということはまだ学院への体験入学の話はなくなっていないということだろう。とっさに彼の服を掴む。呆れ返って見放されてしまうのも嫌だが、レオンハルトの望む以外のところで希望を持たれるのも嫌だ。一ヶ月の不在に耐えられるように慣れさせるため、などという理由で屋敷から離れる機会を増やされてはたまらない。こんなに離されることを嫌がっているのだから、その話は止めてくれてもいいはずだ、とレオンハルトは思うけれど、ディアラスは何か別の考えがあるような顔をしてレオンハルトにそれ以上拒否の言葉を継がせなかった。
「私も少し考え直してみよう。けれど、お前ももう一度、よく考えてごらん。ライオネル様もローグも、学院の卒業生だ。お話を伺ってみたらいい」
楽しそうな話を聞けば、レオンハルトが自らディアラスから離れて王都へ行ってみたいと言うようになるとでも思っているのだろうか。レオンハルトが側にいて欲しいと思うように、ディアラスは自分の側にいたいとは思ってくれないのだろうか。
「さあ、もう部屋に帰って寝なさい。体が冷えてしまう」
見つけたということは、探していたということだ。ようやく、探し当てたという、それだけ求めていたということのはずだ。自分だけではなく、彼もまた。
「……ディアと一緒に寝る」
「レオ」
強くはないが、宥めるというよりも叱るような音に怯んだのは確かだけれど、レオンハルトは頑として譲らなかった。
「今日だけだから」
しっかりと視線を上げて、碧玉の瞳を覗き込めば、ディアラスはそれを受け止めた。そしてしばらく見つめ合った後、先に目を閉じたのはディアラスの方だった。
「姉上が聞いたら何て言うだろうな」
溜息の後に呟かれたディアラスの言葉に、この場にいない彼の双子の姉の苛烈な瞳を思い出して、レオンハルトは咄嗟に身を竦めた。彼女なら何も言わずに、部屋を出ていくように扉を指すだけだろう。亜麻色の髪と碧玉の瞳、整った顔立ち。容姿だけで言えば、アリーシャとディアラスは良く似た姉弟だ。けれどウォンとディアラスが違うように。
「ディアはアリーシャじゃない」
レオンハルトが見つけたのはディアラスであってアリーシャではない。アリーシャはレオンハルトを見て、ディアラスのように微笑んだりはしない。アリーシャがレオンハルトを見るときは、いつも何か怒っているような、どこか憎んでいるような厳しい色がある。ディアラスも教師としては厳しいことも言うけれど、視線はいつも慈しみをたたえている。だからしっかりと鍛えられた体を持つ男性だけれど、表情はいつも柔和で女性的だ。アリーシャの方が、いつも勇ましい表情をしていて男性的ですらあると思う。
「甘やかし過ぎだと叱られるのは私だろうけれど……仕方ないな。今日だけだ、レオ」
「うん!」
唯一、彼らの視線がよく似た色を帯びた瞬間があるとすれば。
あの炎と風の吹き荒れた夜。
慈愛の奥で燃えた激しく、狂おしい感情。
互いに忘我の境にあった、あの瞬間に見つけたもの。それはあの時以来、ディアラスの心の中に隠されてしまったのだけれど、夢の中であの瞳に会う度に思う。あれは自分のもの。だから手を伸ばす。すべてを置いて、夢中で手を伸ばせば、どんなに深く厳重に隠されたものであっても、必ず暴くことができるはずだから。
レオンハルトが先に横になっていたベッドに、風呂から上がったディアラスが滑り込む気配がして、半分眠りに落ちながらもレオンハルトはころりと身を転がした。そしてディアラスの腰にしっかりと腕を回す。朝まで、例え夢の中でも手を離さないでいようというように。